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2010年6月14日 朝日新聞

 

名古屋の山車 復興願い記録

 

江戸時代から戦前にかけ、名古屋には、からくり人形を載せた数多くの山車があった。

名古屋開府400年の今年、今も市民の暮らしに息づく山車を記録するドキュメンタリーが作られている。完成後は学校などに配り、名古屋の山車文化の復興につなげたいという。(山吉健太郎)

 

自主映画制作者ら、祭を取材

引き揃えられた山車の間で撮影する森零さん(左から2人目)ら「名古屋活動写真」のスタッフ

=6日、名古屋市東区の徳川園

 

「住民の連携の強さ、魅力」

 

江戸時代以来、名古屋東照宮と若宮八幡社、那古野神社(三の丸天王社)の祭礼は「名古屋三大祭り」と呼ばれ、山車が盛り上げていた。しかし、太平洋戦争の空襲で多くが焼失し、市内に現存するのは約30両といわれる。東区、中村区、西区、緑区などの山車は市の有形民俗文化財に指定されるが、すべてが引きそろえられる機会はない。6日、名古屋市東区の徳川園であった天王祭では、山車5両が引き回され、からくりやおはやしを競った。

 このうち、約200年前に作られた同区筒井町の「神皇車(じんこうしゃ)は神功皇后による朝鮮遠征伝説のからくりを持つ。巫女(みこ)煙幕とともに竜神に変身し、荒れる海を静める場面に大きな拍手が起きた。

重さが4トンもある山車を若者8人が勢いよく方向転換させる演技も見どころだ。

保存会顧問の加藤善久さん(59)は「山車は町のシンボル。子どもから高齢者まで共同体意識を高めてくれる。永遠に残したいご神体です」と話す。 山車の周りでは、「名古屋活動写真」のスタッフ16人が5台のカメラで撮影していた。

自主映画を制作する(もり)(ぜろ)ん(45)と、専門学校「名古屋ヴジュアルアーツ」の学生や卒業生らのグループだ。雑貨店を営む森さんの自宅は東区筒井町にある。「山車を守ることで住民の連携が強まる。そこに大きな魅力を感じた」と森さん。元旦のおはやしの奉納、5月中旬の山車の組み立てを取材してきた。 ところが山車が残る地区の中には人口が減り、後継者に悩むところもある。各地が力を合わせて山車文化を守り、後継者を育てようと保存会関係者らによって2008年に「名古屋曳(なごやひき)絆会(ずなかい)(永田哲也会長)が結成された。

副会長で、東区新出来の「鹿子(しかか)神車(じんしゃ)を守る矢沢新吾さん(45)は

「戦災があったとはいえ、名古屋は山車の本家本元。いつか市内すべての山車を一堂にそろえたい」と話す。

 10月の名古屋まつりでは、緑区の山車も加わり、より大規模な引きそろえが行われる予定だ。

「名古屋活動写真」は名古屋まつりで取材を続け、記録をDVDにまとめ、約2千枚を市内の学校、山車保存会などに寄贈する。

 森さんは「次世代の担い手となる子どもたちに興味を持ってもらい、高山祭のように外国人客にも名古屋の山車を見てもらえるようにしたい」と話す。

制作費のカンパやスタッフ、名古屋の山車に関する情報も募っている。問い合わせは森零さん

(052・581・1201)へ。