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復興の記憶 名古屋発 「大空襲」「焼け跡」証言自主映画に


復興の記憶 名古屋発 「大空襲」「焼け跡」証言自主映画に

監督「震災被災地に伝えたい」

 戦争を経験した人たちの証言を集めたドキュメンタリー映画を、名古屋を中心に活動する映画監督の森零さん(46)が自主制作している。名古屋空襲で逃げ惑った人、戦時中に軍施設で働いていた人――。これまでに50人以上から話を聞き、カメラに収めてきた。森さんは「焼け跡から立ち上がった人たちの記録が、東日本大震災からの復興を目指す人たちの勇気や希望につながれば」と話し、年内の完成を目指している。

 今月9日、名古屋市中区の名古屋都市センターに、空襲を体験したお年寄りが集まった。「爆発で宙に放り出され、意識を失った。気づいたら、自分の体の上をまたいで逃げ惑う人たちが見えた」。水井峰子さん(75)(愛知県春日井市)は1945年3月19日の名古屋大空襲を振り返った。

 名古屋市昭和区の鶴舞公園には焼死体が積み上げられた。9歳だった水井さんは、はぐれた母親を捜すため公園内を歩き回った。角材で死体をひっくり返したこともあったという。

 母親は病院に搬送されており、約4か月後に再会できたが、焼夷弾の破片で顔をえぐられるなど、全身に38か所の傷を負っていた。1歳半だった弟は焼夷弾の燃焼剤を頭から浴び、真っ黒なゴムマスクをかぶったように見えた。

 「傷痕が残り、女性なのに悔しかったと思う。終戦後も平穏な生活はすぐに戻らなかった。それでも、あの恐怖やつらさを考えれば、苦労を乗り越えられた。震災の復興にも長い時間がかかるだろうが、力強く希望を持って生きてほしい」。水井さんは戦中から戦後にたどった自らの人生をかみしめながら話した。

 森さんは芸術系専門学校講師や雑貨店経営をしながら、名古屋を舞台にした映画作りに取り組んでいる。昨年「名古屋開府400年」を記念し、山車を題材にした映画を制作。その際、多くの山車が空襲で焼失したことを知り、市民の戦争体験を集めた映画制作を思い立った。専門学校の同僚や学生らと撮影を始めて間もなく、大震災が発生。戦争体験者の証言を聞くうち、戦中戦後を生き抜いた人々の姿が、復興を目指す被災地の人たちと重なった。

  NEW 名古屋空襲
 1944年から軍需工場への爆撃が本格化し、翌45年は市街地にも拡大。同3月19日には300機が計1858トンの焼夷弾や爆弾を投下した。名古屋市中心部で一般市民を巻き込んだ空襲としては、最多の826人が犠牲となり、「名古屋大空襲」と呼ばれた。さらに、5月14日の空襲では名古屋城天守閣が炎上。空襲による死者は計7858人に上り、13万戸以上の家屋が焼失、損壊した。


2011年8月13日 読売新聞)
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