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ドキュメンタリー映画
 

元零戦搭乗員 原田要の一世紀

 

~命の軌跡~

※DVDの入手方法はこちらから

 

名古屋活動写真は2011年に名古屋空襲体験者71人の証言記録を集めたドキュメンタリー映画「名古屋空襲を語る」を製作しました。その際、第二次世界大戦全体の経緯を体験し明確に語ることのできる人物として元零戦搭乗員の原田要氏に遭遇したのです。

 98歳まで講演活動を続けられた原田氏は、これまでに様々なメディアへの露出をされていましが、それらは断片的なもので、後世に残すための映像は作られてきませんでした。戦争の最前線で命のやり取りを体験したひとりの人間の営みと、戦後から現在までの深みのある生き様を、たくさんの人が共有し、後世に伝え残す為にも映像化する必要があると考えました。


 第二次世界大戦前から戦闘機に乗り、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナルでの空戦を体験し、2度の墜落にも九死に一生を得て、終戦を迎える年には神風特攻隊の教官として戦争を生き抜いた殺人ロボット・原田要氏の壮絶な青春期と、懸命に生きた戦後の混乱期、幼児教育を手掛けてきた昭和30年代から現在。戦争体験を基に平和への取り組みに全力を注ぐひとりの人間の一世紀を、語りと写真及び資料を中心に生い立ちから現在までを映像作品にしました。


 完成した作品は、上映・講演を永続的に行い、ひとりの男の壮絶な人生を共有することで、命の大切さ、平和の尊さを再確認できればと思います。

原田要氏略歴

大正 5 1916年 長野県浅川村(現在の長野市)生まれ。

大正12 1923年 関東大震災 尋常小学校1年生

昭和 4 1929年 旧制長野中学(現在の長野高校)入学

昭和 8 1933年 横須賀海兵団入団(四等水兵として)。

昭和10 1935年 4月 横須賀航空隊 航空兵器術練習生として入隊。

           操縦予定者として霞ヶ浦航空隊へ。

昭和12 1937年 支那事変

第35期操縦練習生を首席で卒業 海軍の戦闘機パイロットとなる。

第十二航空隊の一員として上海行きを命じられる。

12月12日 「パネー号事件」アメリカの砲艦を中国の船と間違って誤爆。

すぐに内地に帰される。

佐伯航空隊付となり教官として若い搭乗員たちの養成に力を注ぐ。

  「撃墜王」と呼ばれた坂井三郎は同年兵でこの航空隊でよく一緒に空戦訓練をした。

12月13日 南京攻略。

昭和15 1940年 「零戦」が正式採用される。皇紀2600年に当たることから末尾の零(れい)をとって名付けられた。(真珠湾攻撃の3カ月前)

           ※9月13日 中国の重慶で零戦による初陣では13機で敵機27機を撃墜した。

           原田氏が搭乗したのは初期型の「二一(にいち)型」

昭和16 1941年 1月1日 結婚。

12月8日 空母蒼龍に乗り組みハワイ真珠湾攻撃に参加。作戦中に長男誕生。

昭和17 1942年 ミッドウェー海戦参加。

           日本海軍は航空母艦「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の四隻を失う惨敗を喫する。

           海に不時着し4時間漂流する。近くに浮かんでいた高島雄二飛曹は自決。

           辺りが暗くなり諦めかけた時に駆逐艦「巻雲」に救助される。

           8月7日 ガダルカナル島(略して「ガ島」)完成間近だった飛行場がアメリカ軍に襲撃され占領される。

           鹿児島の笠ノ原基地で1カ月の軟禁生活(ミッドウェー海戦の大敗北を隠蔽する為)の後、空母飛鷹(ひよう)に乗り組み、10月17日の空戦で左腕に重傷を負い内地へ。

           霞ヶ浦航空隊で教官として勤務。

昭和20 1945年 千歳航空隊で「秋水」のパイロットを養成。終戦を迎える。

公職追放の苦難の中、農業、酪農、八百屋、牛乳販売など様々な職業を経る。

昭和24 1949年 戦犯の心配から逃れる。

昭和42 1967年 託児所「北部愛児園」を開設。

昭和43 1968年 託児所を開設。

昭和47 1972年 学校法人「浅川学園ひかり幼稚園」として認可され、同時に延長に就任。

平成 3 1991年 12月 テキサス州ミッドランド航空博物館の開館式に併せて開催された「日米開戦50周年式典」に招待される。ガダルカナルで打ち合って墜落させたアメリカ人のジョー・ホース氏と再会する。

平成13 2001年 コロンボ空襲の際に撃墜したイギリス人のジョン・サイクス氏と氏の自宅で再会。

平成22 2010年 園長を退く。

平成26 2014年 各地での公演活動を継続。

平成28 2016年 5月3日 ご逝去。

 

元零戦搭乗員 原田要の一世紀

遂に書籍化!!

 

 

 

 

名古屋活動写真 森 零監督が元・零戦搭乗員(そして特攻隊員の教官)と出会い、その生涯を1冊の本にまとめました。

原田要氏は戦争中、日本の戦闘機乗りとして活躍しながらも生き残り、戦後は農業に従事、さらに幼稚園の園長となって子供を育てる一方で、「私たちが生きているうちに戦争の真実を伝えて欲しい」と平和の大切さを訴えてきました。

2年前の原田氏の死を機に書かれた小説と言えます。

若い人にもわかりやすく、戦争とは、平和とは何か、を問う力作です。

 

 

 

著者:森 零

1965年 名古屋に生まれる

1983年 名古屋市立桜台高校卒業

1985年 東京写真専門学校(現名古屋ビジュアルアーツ)卒業 俳優業とニューヨークでのアート活動を経て

2006年 名古屋ビジュアルアーツの映像科講師に従事

  歴史文化系のドキュメンタリー映画監督を続けるなかで2011年に原田要氏と出会う

  以後、2016年の原田氏他界まで親密な関係を続け、現在、氏と約束した最終目標の映画製作に向けて奮闘中

2018811日発行 ¥1728(税込)

販売中!!

ご希望の場合 著者:森 零がサインをいたします。

全国書店 店頭/Amazon/紀伊國屋書店/HMV & BOOKS/Honya Clubなどオンラインショップでもお求め頂けます。

2015年3月22日 中区役所ホール 完成披露上映会 満員御礼

 

 

エンディングテーマ曲「今を生きる人へ」を担当した     ハイカラオリーブさんの演奏♪

森零監督とゲストの河村かたし名古屋市長    

 

 

 

 

 

原田氏と出会うきっかけとなった   ドキュメンタリー映画 

「名古屋空襲を語る~今を生きる人へ」

 2011年