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 あいちトリエンナーレ地域魅力づくり事業

2011年プロジェクト「七間町 橋弁慶車 お囃子の復活

一度は途絶えてしまった山車囃子。50年の歳月を経て、それを知る最後の男が立ちあがった!!!

 

きっかけとなった映画

「開府四〇〇年

名古屋の山車祭り」

「七間町橋弁慶車 お囃子の復活」 

 名古屋開府四〇〇年祭で行われた大山車祭りのドキュメンタリー映画を制作した

私の元に、以前名古屋碁盤割で呉服屋をしていた間下さん(75才)が映画

「開府四〇〇年 名古屋の山車祭り」完成の新聞記事を見て現れました。

 写真や8ミリ映画が趣味の間下さん。

昔の8ミリや山車の写真などを私に託せば何かに活きると思ったようで、

その中にはお囃子で使う篠笛もありました。 

 その笛は、戦争で失われた、名古屋の山車文化の原点とされる格式高い東照宮祭

「七間町 橋弁慶車」のお囃子を、佐藤國三郎氏に習い、笛を担当していたときに使って いたものでした。

佐藤氏は大のお祭り好きで戦後も人を集めてお囃子を伝授したり、披露したりしていたそうです。

間下氏は「50年吹いていないから笛の指づかいはもう忘れてしまったけれど今でも俗唄は覚えている。」と橋弁慶車の俗唄を歌い出しました。

・・・50年間途絶えていたものが、間下さんの記憶に残っていた・・・

早速、先の映画制作でアドバイザーを務めて頂いた山車楫方組の二番永田組 四代目組頭の矢沢新吾氏に報告すると、

「是非、間下氏からご教授いただき橋弁慶車のお囃子を再現したい」ということに

なり、二番永田組と御洒洛の協同の元、お囃子の復活が始まりました。同時に、

お囃子復活の記録を中心とするこの映画制作プロジェクトが始動。

 山車を愛する人達の開府四〇〇年祭に向けて注いだ3年という時間と力が、あまたの偶然を呼び、名古屋の宝を復活することに至った“奇跡”。

 橋弁慶車を始めとする戦前の山車のモノクロ写真を、カラー変換するというプロジェクトも加わり、一層充実した映画となりました。

 今、戦災により失われた名古屋の貴重な伝統芸能や山車文化は、人の記憶からも消滅しようとしています。

このような復活や再現といった試みが皆様の関心事となり、次世代へと継承されていくことを願います。

                         名古屋活動写真 監督 森 零

 

 

焼失した山車のカラー写真 

 

カラー化写真 見本

カラー化写真 申し込み

 

 

 

この度、『七間町 橋弁慶車 お囃子の復活』DVDプロジェクトの一環として、

橋弁慶車をはじめとする戦災で焼失した山車のカラー化写真を制作致しました。

当時の様子がはっきりと伝わるこれらの写真を、できるだけたくさんの方々に

ご覧いただきたいとの思いから、厳選した写真を販売させていただきます。

これらの写真をモノクロとカラーの2枚1セットで3カットご用意しました。

今回に限っての限定販売ですので、是非この機会にお求めください。

 

この写真は、想像で色を付けたものではなく、モノクロ写真の微妙な白黒の濃淡から

色の分析をする技術を持った会社で、分析されてカラー化したものです。

 

各地で上映と講演会

カラーパネル展示が

開催されます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「七間町橋弁慶車 お囃子の復活」は

英語バージョンも制作しています。

ナレーション担当のイレ−ネさんと

最終チェックをしました。

3月24日(土)中生涯学習センター上映会

3月18日(日)妙真寺i-cafeさんでの上映会にて

この日はナレーションをして頂いたZIP-FMのDJ

イレ−ネさんも駆けつけてくださいました。

3月10日(土)東区役所講堂

「七間町橋弁慶車 お囃子の復活」

上映&講演会の模様

3月3日(土)西区役所講堂

「七間町橋弁慶車 お囃子の復活」

上映&講演会の模様

中日新聞 3月4日に掲載されました 

  

       復活したお囃子の収録風景