名古屋都市センターまちづくり活動助成事業
書籍「名古屋空襲を語る〜零からの一歩」
監修 森 零 製作協力 森田和美(名駅経済新聞)
第二次世界大戦の末期、アメリカ軍の最大の攻撃目標の1つとなった名古屋の航空機産業。数えきれない命を奪い、街は焼け野原になり、名古屋城の焼失など大きな爪痕を残しました。 この本は、当時まだ子供だった人、若い社会人だった人など、70人以上の方がお話いただいた体験談をもとにまとめたものです。 自分や家族、友人を取り巻く残酷な出来事、苦しい暮らし、何もかもが失われた街。忘れたくても頭から離れない記憶の数々。戦後、そのような状況でも立て直し、「今まで生きてきて良かった」と振り返られる、それぞれの人生の記録です。 この生きた声が、これからも語り継がれ、戦争が2度と繰り返されないように願います。 |
ドキュメンタリー映画「名古屋空襲を語る〜今を生きる人へ」の書籍として発行されました。 NHK・中京テレビ・中日新聞・朝日新聞・読売新聞等に取り上げられ71名の空襲体験者が集まりました。 完成した映画はDVD化し、図書館など名古屋の公共施設で保存されています。 また、上映会・講演会を定期的に開催し、名古屋のまちづくりと発展について議論を深める活動を継続的に行っています。 |
原田 要氏(95歳) 元帝国海軍中尉 零戦搭乗員日中戦争からの海軍飛行兵。先の大戦では三菱零式艦上戦闘機(ゼロ戦)で開戦から終戦まで最前線で戦った筋金入りの猛者です。零戦を操る原田氏の真珠湾攻撃から終戦までの最前線でのすさまじい体験を「名古屋空襲を語る」 に散りばめることによって 戦争の恐ろしさや哀しさをよりいっそうリアルなものとして、臨在感を持って受け取れる作品となりました。 |
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爆弾が目の前でさく裂し、爆風で体が吹き飛ばされた体験を語る女性 |
名古屋城が焼け落ちるのを目の当たりにし、家族で地面に座り涙を流して城に手を合わせた体験を語る女性 |
空襲体験を語る 元 東海軍管区司令部女子逓信隊の皆さん | |
インタビューでは『大変だった』と振り返るのだけでなく、『今まで生きて来られて良かった』『孫もできてうれしい』などニコニコと笑顔を見せてくれる人も多い。生きてきた証を話してくださいます。伝えたいことは当時の被害だけでなく、たくましく生き抜いた命の尊さ、爆撃を潜り抜けた一人ひとりの力が復興に注がれ現代の名古屋のまちづくりの基盤を形成しているという事実。 |
この本は下記のような施設や機関で永久保存され、
図書館では希望者がいつでも閲覧と貸し出しが可能です。
愛知県図書館 |
名古屋市市長室 |
名古屋市全21の図書館 |
名古屋都市センター |
名古屋市市政資料館 |
徳川美術館 |
名古屋市蓬左文庫 |
文化のみち撞木館 |
文化のみち二葉館 |
どんなことがあったのか「知る」ことが「学び」を生み、それは故郷への愛着・愛情・今の暮らしや、 生きていることへの有難さを感じることにつながります。 少年・少女時代を「死」と隣り合わせで過ごしてきた人達が、戦後、何もないところから復興に全力を尽くし、 今の日本を築き上げてくれました。 そこには、「これからの日本のために絶対平和な暮らしを取り戻したい」という強い希望があったと思います。 未だに世界では戦争やテロが起こり、かけがえのない人の命や暮らしが奪われています。人間の過剰な欲望が 全ての争いを生みだすと考えます。しかし、1人ひとりが自分が生きていく上で大切にしたい物事をよく考え、 まわりのことを同じように大切に思うことで、大きく変わることがあるはずです。 現在、日本は努力さえすれば、なりたい自分や生きたい人生を送ることができる環境が整っています。 今の自分は幸せな状況に身を置いているということに今一度気づいてもらえればと思います。 取材では、幼い頃の記憶にもかかわらず、語り手の鮮明な記憶力に驚かされることが数多くありました。 それだけ強烈な記憶で、「忘れないように」また「忘れられないように」語り続けてきたからでしょう。 しかし、そんな語り手も高齢になり、この世から去っていく人も増えてきました。 1945年の終戦から必死で生き抜き、復興に力を注ぎ現在の名古屋の街を形成してきた方々の思いや体験が、 今後のまちづくりの道標となる事でしょう。 この本に記されたことを読んだ人が感じ、感じたことを誰かに伝え、それがずっとつながり広がるバトンに なって欲しいと願います。
名古屋活動写真 森零 |